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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)7624号 判決

原告

古沢稔

右訴訟代理人

伊東忠夫

被告

右代表者法務大臣

稲葉修

右指定代理人

岩渕正紀

外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一、請求の趣旨

1  被告は原告に対し金四〇四万円及びこれに対する昭和四七年九月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求の原因

1  原告は訴外藤屋商事株式会社の取締役であるが、昭和四五年一一月中旬頃顔見知りの山田忠徳の紹介で訴外高橋武治と名のる中村勝憲と面談し、同人から明高建設工業株式会社(以下明高建設という)を設立するため、その資本額(株式払込金)七五〇万円を、いわゆる見せ金として一時銀行に預けたいので、七日ないし一〇日の期限で借用したい旨(なお担保のため発起人一同が連帯保証債務を負担し、設立登記手続一切を原告に委任し、明高建設の代表者印を原告に預け、預け金は原告において払戻しを受けられるようにする旨)の申入れを受けたので、同年一二月四日原告はこれを承諾し、同日金七五〇万円を、明高建設の発起人全員が連帯保証すること、弁済期日を同月一三日、利息を一〇日につき二分(一五万円)、礼金を一万円とする約束で中村勝憲に貸与した。(そして、原告は払込取扱銀行である城南信用金庫中野支店に原告が代理人として右金七五〇万円を払込み、同金庫から払込保管に関する証明書を受取つた。)

2  原告は明高建設の代理人として同月四日明高建設の代表者の印鑑の押印してある委任状、印鑑届その他設立登記申請に必要な一切の書類を東京法務局中野出張所に提出したところ、同出張所係員は右申請の不備を指摘して補正日を同月八日午前と指定した。

3  ところが、中村勝憲は中村豊彦と謀り、翌同月五日右出張所に赴き、先に中村勝憲が法人係受付に対し明高建設役員間の紛議を理由に前日提出した明高建設登記申請に添付の同会社印鑑証明の改印及び同申請書添付書類の押印部分の改印を求めたところ同出張所法人係長田中孝雄から右申入れを拒否された。そこで更に中村豊彦が同出張所長宮下厳之助と面接したところ、田中係長は急に態度を変え、法人の改印届については商業登記法第二〇条後段(なお、商業登記規則第九条)の規定が適用され、所定の改印届によるべきであるのに、これによらない改印届を受理し、しかも受理順序に従つて登記手続をしなければならないのに、これに当る同月八日の補正日を無視して同月五日明高建設の会社設立登記一切を完了し、違法に改印した明高建設の印鑑証明書と同会社の商業登記簿謄本を中村豊彦に交付した。

4  中村豊彦らは原告との約束に反し、同日直ちに右交付を受けた明高建設の印鑑証明書と商業登記簿謄本を城南信用金庫に提出し、前記七五〇万円の預け金の払戻しを受けて行方をくらませた。

このため、原告は前記約束に基く金七五〇万円の払戻しを受けられず、同人らからも引渡しを受けることができず、結局右同額の損害を受けた。

もつとも、原告は、利息、礼金の名目で合計一六万円を受理しており、その後中村勝憲、中村豊彦の両名から合計三三〇万円の支払又はその約束を受けたので、結局原告の被つた損害額は金四〇四万円となつた。

5  原告の被つた右損害は、公権力の行使に当る右田中・宮下の両公務員がその職務を行うにつき故意又は過失に基き違法な前記手続をしたことにより生じた損害というべきであるから、被告は国家賠償法第一条によりその損害を賠償すべきである。

6  よつて、原告は被告に対し損害賠償として金四〇四万円及びこれに対する弁済期の後(訴状送達の翌日)である昭和四七年九月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。〈以下省略〉

理由

一〈証拠〉によれば、請求原因事実一が認められ、他に右認定を動かす証拠はない。

二請求原因事実2は当事者間に争がない。

三〈証拠〉によると、中村豊彦、中村勝憲が、前記七五〇万円の預金(株式払込金)を騙取する意図で明高建設設立登記申請の翌日である昭和四五年一二月五日東京法務局中野出張所に赴き、中村勝憲が代表者高橋新治であり、中村豊彦はその代理人であるかのように装い、中村勝憲において補正の件で申請記録の貸与方を申入れたが断られた。そこで中村豊彦が再度田中法人係長の所に行き、登記を急ぎたいので補正日の前だが、補正したい旨申入れたところ、田中係長は、申請記録のうち、株式申込書の申込人山本一男の捺印洩れ、創立総会議事録末尾の会社の商号の記載洩れ、調査報告書の末尾の会社の商号の記載洩れを指摘して補正記入のため同申請記録全部を貸与し、近くの閲覧台において補正記入すべく指示した。(なお右申請書添付の代表者印鑑届は登記完了後印鑑簿台紙に貼るためクリツプで止めてあつたにすぎない。)右両名は右閲覧台で指摘された補正個所を補正すると同時に予め作成させて準備していた申請書添付の代表者印の印鑑と別個の代表者印を委任状、創立総会議事録、調査報告書、取締役会議事録の高橋武治の名下に既に押印したのと並べて押印し、前記申請書添付書類にクリツプで止められていた申請時の代表者印鑑届票をはぎ取り、同人らの用意した別個の代表者印(乙第三号証の一の上段に添付朱抹されたもの)とつけかえ、申請記録を田中係長に返戻した。同係長は右印鑑届の取りかえ、追加押印の部分に気付かず、補正個所を点検し、補正されたものとして前記申請の日の日付で設立登記を完了し、同日請求のあつた会社代表者の印鑑証明書及び登記簿謄本を同人らに交付した。そして、同人らは同日右印鑑証明書、登記簿謄本を城南信用金庫中野支店に提示して株式払込金の保管金七五〇万円の払戻しを受け、これを所持したまま行方をくらますに至つた。このため原告は当初中村勝憲と約束した預り金(株式払込金)の払戻しによる貸金の返還を受けることが出来ず、右両名からはもちろん、他の発起人らからも支払いを受けることができず、右貸金の回収を受けることが不可能になつた。

四原告は、国家賠償法第一条に基づき被告に対し右損害の賠償を求めるのでこの点について検討する。

1  宮下厳之助、田中孝雄の両名が東京法務局中野出張所の登記官であり、公権力の行使に当る公務員であることは当事者間に争がない。

2  前記認定のとおり、代表取締役の届出印鑑が右両名によつて、登記官のママに気付かれないようひそかに取り替えられ事実上改印がなされる結果になつたのであるが、原告は登記官が商業登記法第二〇条、商業登記規則第九条一ないし三項所定の改印届によらない改印を認めたのは違法であると主張する。然しながら、右規定は一旦正式に届出られ設立登記完了と共に届出印鑑台紙に添付備付けられた後に改印をする場合に関する規定であつて、それ以前の段階について適用されるものではないし、(法は一般的には補正過程での改印は予定しておらず、申請受理後の申請事項の同一性を害する追加変更を伴う補正は許していないと解される)、登記官に秘して事実上行われた右届出印鑑の取替について、登記官に改印届出の手続によらず、改印を認めた違法があつたとは到底いい難い。

3  更に原告は、右のように、一旦登記申請が受理された後不正に改届がなされているのに、これを排除せず、そのまま設立登記をし(これにもとづき印鑑証明書、登記簿の謄本を交付し)たことについて違法を主張するが、登記官が(設立)登記申請を受理した段階で直ちに審査を行い、その結果補正可能であつてこれをなすべき個所を発見した場合は申請者に補正の機会を与え申請者において補正手続をしたときは、補正の有無を審査してそれが正しく補正されたと認めた場合申請の日を以て設立登記を行うべきものである法第二一条、第二三条、第二四条。したがつて、登記官としては、補正さるべき以外の点についても再度全般に亘り審査すべき筋合いではなく、法律上その義務を負つているものとは解されない。(前記のとおり法は補正過程において申請事項の内容の同一性を害する追加、変更を許さないものと解される。)したがつて、登記官が全般に亘り再審査をせず、このため前記届出印鑑の取り替え、二個の異つた押印がなされていた点を発見できず、そのまま登記を完了し(これにもとづき印鑑証明、登記簿謄本を交付し)たとしても、登記官がその審査義務に違反し、違法・過失があつたということはできない。

もつとも、登記官は、登記申請事項の内容についても一応実質的審査権を有しているのであるから、右申請後その内容の同一性を害する追加、変更など許されない事項が行われたことを発見したときは、これを排除すべき権限を有するものと解されるのであるから、これを発見しながら排除しない場合のみならず、補正を審査するに際し格別の審査をするまでもなく右のような追加変更がなされたことが一見して明らかであり、当然発見しうるような特段の事情の認められる場合であるのにこれを看過して排除措置をとらなかつたときも登記官の審査には違法又は過失があると解するのが相当である。しかしながら、本件の場合、代表者の届出印鑑が取り替えられたことが、補正の審査に際して格別の審査を要せず一見して明らかであるとはいえず、又取締役高橋新治名下に二個の別個の印が押されていたことについてもいずれも他人名義の印ではないうえ二個の印が一見して別異のものであることが明らかであるとは直ちに認められないからこれを発見できず看過したことについても登記官に格別の義務違反があつたということはできない。

4  更に本件登記申請は原告が代理人としたものであるところ、前記のように中村勝憲が会社代表者高橋新治、中村豊彦がその代理人を装つて前記補正手続をしたものである。商業登記法は本人又はその代理人が出頭してすべきことを定めており(同法一六条)、補正手続についても同様と解されるところ、登記官田中係長は右両名を本人又はその代理人と認めて右補正行為をなさしめる結果になつたことは明らかである。

登記官は同法第二四条、五号、商業登記規則第三八条により登記申請(又は補正)手続を行う者が登記申請の本人又はその代理人によつて行われているか否かについて審査すべき義務を負うことはいうまでもないが、右審査もその性質上申請書又はその添付書類等直ちに審査し得る資料に基いてなされたものであつて、それ以外に改めて資格証明のための印鑑証明書、委任状等の提出を求めるなどして審査をする権限を有していないし、その義務を負うものではない。そして、本件においても、右両名が本人又はその代理人でないことが添付書類その他によつて判明できる状況にあつたとは認められない。したがつて、本人又は代理人でない右両名が補正手続をなさしめたことについて登記官に違法又は過失があつたとはいえない。

5  なお、原告は補正期日前に補正に応じて登記を完了させたことについても非難するようであるが、補正期間は商業登記法において予定されていたものではないが、〈証拠〉によれば登記事務処理の実情から通達(昭和三九年一二月五日民事甲第三九〇六号民事局長通達)にもとづいて是認された便宜的取扱いであるところ、右期日はその趣旨からみて、補正猶予期間と見られるから、その間申請人から補正手続がなされ、補正が認められれば、補正期日前であつても、登記をすることは登記の目的及び商業登記法二四条の即日補正の趣旨に照らして当然であつて、これを補正期日まで待つて登記をすべき理由は見当らない。

従つて、この点について登記官になんら違法、過失はない。

6  宮下中野出張所長についても、田中孝雄登記官と同様であつてそれ以上の義務を負うものではない。

7  なお以上の点から見て両公務員に故意の責任を生ずる余地のないことはいうまでもない。

五以上のとおりであるから、原告の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(渡辺卓哉)

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